不登校からうつ病を発症したMさんのケース

不登校からうつ病を発症したMさんのケース うつ病の体験談
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Mさん(20代/女性)に体験談を寄与いただきました。

 

 

 

私は小5で不登校になりました。

それまでの人生は1歳で重度の喘息になり、1~10歳まで3か月に一回入院するほど、頻繁に入院していました。幼稚園~小4までは喘息が原因で度々学校や幼稚園を休むことが多かったので、同級生によくお見舞いのメッセージを沢山もらっていました。

登下校時も母親の送り迎え付きで通っていました。

そんな状況が一変したのが、小5でした。小5になって徐々に体調がよくなり、入院したり欠席したりすることが少なくなりました。私はそれまであまり学校や幼稚園に通えていなかったので、集団生活になじむことや新しいクラスメートと交流することが苦手でした。

小5になって、クラス替えが行われて初めて全く友だちのいないクラスになってしまいました。当然、今までそんな生活をしてきた私は友達など作れるはずはありませんでした。徐々に学校に行くのが嫌になり、体調不良で休むことが多くなりました。そんなことをしているうちに、休みペースや機関が増えて来てある時から全く学校に行かなくなりました。

そんな私を見て母は最初は学校に行くように言いましたが、ある時を境に何も言わなくなりました。不登校になってから私は好きなことをして時間をつぶしました。ゲームをしたり、本を読んだり、母親が気を使ってクラスメイトのいない平日の昼間に外出する機会を与えてくれました。

そんな生活を送っていましたが、鬱屈とした閉鎖的な生活を送るうちに私には自殺願望やうつ症状が現れ始めました。そんな私を心配して母は嘘をつきました。「新しい喘息関係の病院に行くからついていくように。」と。連れていかれたのは精神科でした。母は嘘をついて私を精神科に連れて行ったのです。私は混乱しました。当然受診は拒否し、当時持っていた僅かなお金でタクシーを呼んで帰ろうとしましたが、無理やり母親や看護師に止められて諦めました。

そんなトラウマを植え付けられて私は精神科という場所が怖くて近寄れなくなりました。このトラウマが現在までの私の病状が重症になってしまった原因です。

 

小5から小6はそんな事件もあり、学校に行かなくても母は何も言わなくなりました。私はほとんど外に出ずに引きこもり生活を送っていました。時々友達や先生が会いにきましたが、私が学校に行くことはありませんでした。

 

中学に上がり、私は私と同じような不登校の子が集まるフリースクールに3年間通い始めました。

私は不登校になる前までは勉強が得意でしたが、人付き合いが苦手だったので午前中の勉強の時間だけ居て、午後からの生徒同士の交流の時間は家に帰っていました。勉強だけは出来たので、実技が必要な技術や音楽などの教科以外は中学校の担任の先生や教頭先生たちの配慮で、国数理社英は他の一般の生徒と同じように通知表の評価を受けることが出来ました。

5教科だけでは私の成績は学校に通っていないにも関わらず、クラスで1位でした。しかし、内申点のレベルは絶望的であり、普通に高校に通うことは厳しかったのです。そこで、市内でも有数の進学校が試験当日の学力試験のみの点数で合格を決めるという新しい制度に取り組み始め、私はその制度に自分の合格をかけて、見事その進学校に合格することが出来ました。

うつの状態は中学時代も変わらずに自殺願望があり、気分の落ち込みなどのうつ症状が現れていました。精神科には小5のトラウマがあって、この時点でも行くことはできなかったので、うつ症状は悪化の一途をたどりました。

進学校に合格した私を待ち受けていたのは今度はいじめでした。中学3年間も結局学校に行くことが出来ずに、義務教育9年の内の5年を不登校で過ごした私にいきなり学校の集団生活になじむことは難しい事だったのです。不登校だったために外見などのおしゃれに気を使うことがなかったため、特に男子には「ブス」だの「死ね」だのとよく罵られました。3年の最後の方は学年の半数ほどの男子が私の悪口を言ったり、いじめに関わっているような状況でした。

そんな劣悪な環境が続いたため、私は人間不信・男性不信になりました。男性のことをひどく憎むようになり、この世から男性が消えればいいのにと強く思うようになりました。

今でもこのいじめのトラウマは残っており、男性のことは基本的に嫌いであり信じることが出来ていません。人間という生き物も平気で自分のためになら裏切る生き物だと思っています。

そんな最悪な高校生活を送っていた私が熱心に取り組んでいたのは勉強と精神医学・心理学の勉強でした。自分が心の病気であることは当に気づいていた私は自分がどんな病名であり、どんな心理状態にあるのかに興味がわきました。図書館に通い詰めて、よく精神医学書や心理学書を読むようになりました。進路も将来は精神医学か心理学関係の仕事に就きたいと思うようになりました。

最初は精神医学に深くかかわれる精神科医を目指していましたが、私の学力では到底及ばずに臨床心理士を目指すことにしました。私が志望したのは国立の旧帝と呼ばれる県外の大学でした。私はその大学しか見据えていなかったので、勉強する科目やセンター試験で受験した科目はそこに合わせた科目しか受けませんでした。それが失敗を及ぼし、センター試験はまずまずでしたが2次試験で試験問題を解くことが出来ずに私は現役時代はどこの大学も受けることが出来ずに浪人することになりました。

しかし、私の家庭事情では浪人するお金がなかったのでバイトをして予備校代を稼ぎながら、勉強していました。そこで待っていたのは高校時代に私のことをいじめていた男子たちでした。

私と同じように浪人した男子たちは同じ予備校に通っていることが判明した私をまたバカにするようになりました。私が稼いでいたバイト先が予備校が入っていたテナントと同じだったため、よくバイト先に冷やかしにも来ました。私は無視し続けましたが、勉強にあまり集中することが出来ずにバイト先で出会った男性に恋にうつつを抜かすようになりました。

男性に会いに行くために、予備校をサボったり模試の前日に会いに行ったりしていた私の成績は当然上がりませんでした。現役時代は臨床心理士を目指していましたが、浪人してからは精神科でもかかわることのできる作業療法士を県内の大学で目指していましたが、そんな成績でも一応はA判定でした。

しかし、肝心のセンター試験でまたしても失敗してしまい、志望校のラインがB判定とギリギリ怪しくなってしまったので私はもう浪人できないことは分かっていたので、またしても県外の余裕のA判定で受かる大学を受験することになりました。恋をしていた男性とは県外に行くことが決まったために別れてしまいました。

県外の大学に受験して合格した私はうつの状態は相変わらず変わりませんでしたが、一人暮らしと大学生活を送るようになりました。しかし、人付き合いが苦手な私は中々友達を作ることが出来ずに孤立してしまい、うつ状態はこの段階で再び悪化してしまい、頻繁に自殺願望を抱くようになりました。それでも精神科に行けなかった私が転機になったのは4年生になり、病院実習で指導者に散々怒られて精神状態がおかしくなってきていると担当の教授に病院受診を勧められたことでした。私は病院に行くのは嫌でしたが、行かないと実習が中止になってしまうので病院に行き、そこで初めて重度のうつ病や不安症の類であることが診断されました。

結局病院受診を受けたのは小5のトラウマから13年経っていたので、病状は簡単に治るものではなく作業療法士になった今でもうつ状態・不安状態から薬が手放せなくなっています。

大学は私の得意分野だった医学系の知識のテストばかりだったので、暗記するだけでいい点が取れたために卒業するときは成績だけは首席で卒業しました。実習などの総合的な評価は悪かったのですが。

そんな私は今作業療法士として働いていますが、うつ状態・不安状態から改善することが出来ずに毎月通院して毎日薬を飲んでやっと仕事が出来ているような状況にあります。これが私が小5から現在に至るまでの不登校~引きこもり~いじめ~浪人~うつ病体験記でした。

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