【完璧主義が原因】うつ病を改善したMさんの体験談

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Mさん(20代・女性)に体験談を寄与いただきました。

 

 

2014年3月、その年の大学受験に失敗した私は予備校に通うため、田舎から上京。ずっと憧れだった東京での生活が始まりました。

予備校は40人くらいのクラス制になっていました。自分のクラスには都会らしい美男美女たちが多く、「これが東京か〜」と感動したのを覚えています。

さて、クラス制もあってか、すぐに何人かの友達ができた私。授業の合間に友達と話をしたり、授業後に軽くお茶をしたり…。時にはカラオケに行くこともあり、自由な東京での一人暮らしに心は弾んでいました。

しかし、その状況は長く続かず…。変わり始めたのは秋頃だったと思います。クラスの中では、よりレベルの高い大学を目指すため上位クラスに転身する人たちも増えてきていました。また、時には受験を諦めて離脱する人も。そんな中で友達たちの間でも少しピリピリしたムードが漂っていました。

その頃、私自身も東京での生活に疲れ始めていたのです。何故なら、周りには容姿だけではなく成績も優れている人たちばかり。更には、読者モデルをやっていたり、異性からモテモテだったりする人たちもいたからです。昔から自分に自信はあまりない方でしたが、それが今まで以上にひどくなっていました。

 

そんな時です。ある日、SNSで繋がっていた仲の良い友達(住んでいる最寄りの駅が同じで、親交が一番深かった)から急にブロックされていることに気がつきました。私は「何か嫌なことをしてしまったのだろうか?」と不安になりましたが、普段その友達に会うと変わらない態度。気にしないようにしようと思っていましたが、前よりもよそよそしい雰囲気に動悸が止まりませんでした。

私には何もない。容姿も能力にも優れていない上に、仲の良い友達にも嫌われた…。その事実から目を逸らすため、私は好きな人をつくり依存していきました。けれど、その人からも都合の良い女としか見られず、状況は悪化。

「誰にも必要とされていない」

そう悩み続けていたある日、体調を崩しました。扁桃炎になり、熱は40度。夜中一人でどうしようもなくなった私は救急車を呼び、そのまま病院で朝まで点滴を打ちながら過ごしました。そして、今まで心配をかけたくないと元気な姿ばかり報告していた母が東京まで駆けつけてくれることに。1週間ほど東京にいてくれた後、母は田舎へと帰っていきました。

 

しかし、母が帰った次の日から私は涙が止まらなくなったのです。この世に一人ぼっちな気持ちがして、不安で胸が潰れそうになりました。何とか予備校に通っていましたが、夜は眠れず泣くばかり。耐えきれず母に連絡したところ、母は仕事を辞めて、私が大学受験に合格するまで東京にいてサポートしてくれることになりました。

 

母に付き添われ精神科を受診したところ、その時に出た診断名は「不安障害」。精神安定剤を処方され、それを服用しながら日々を過ごしました。完全な一人ではなくなった私は、何度か不安定になりながらも徐々に落ち着きを取り戻し、見事大学合格。母も私も、受験への不安も相まって病気になったのだろう。きっとこれからは大丈夫。そう思っていました。

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大学生活のはじまり

大学生になった私は、これまで以上に東京生活を満喫。20歳になりお酒も飲み始め、初めての彼氏もできました。しかし、明らかに以前より人の顔色を伺うようになっていたのです。

 

特に調子の悪い時には電車に乗るのが怖く、「人に変な目で見られているのではないか」「醜いと思われているのではないか」と感じて、冷や汗が止まらなくなりました。また、予備校時代のトラウマもあってか、私は固定した人たちと深い関係を築くことも苦手に…。友達はいてもグループには属さず、身軽に生きようとしていました。更に、サークルでも「親しみやすくて接しやすい人」だと思われるようにサバサバした性格のふり。自分自身のことを自虐して、嫌われないようにしていました。

 

そして、何よりも私を追い詰めたのがバイトです。もともと不器用でテキパキした動きができない私は店長や先輩から注意されてばかり。それで余計に緊張して失敗を重ねる…。いつしか私はビクビクするようになりました。バイト仲間とも馴染めず孤独になり、限界がきて辞めました。

 

大学でもサークルでも、そしてバイト先でも人と深い関係性が築けない私。誰にも必要とされないことに再び心が悲鳴をあげ始めました。自分のすべてを責める声がして、眠れなくなる夜。予備校時代と同じように涙が止まらなくなったのです。

 

その頃、唯一頼ることができたのが今も付き合っている彼。苦しくなっては彼に電話をかけて「死にたい」とぶつけていました。自傷行為をすることはありませんでしたが、未来に希望が持てず塞ぎ込んでいるばかり。彼と一緒にいる時は泣き叫んだり、わけのわからないことを言ったりすることも増えました。当時のことは正直、はっきりとした記憶がありません。「人間、辛いことは忘れるようにできている」とよくいわれますが、本当に辛すぎる思い出は強く記憶に残らないようになっているのでしょう。そのくらい毎日死んだように生きていました。

 

その状況を見かねて、彼は私の母に連絡。東京に来て、私にもう一度病院に行くように進めました。「もうどうでもいい、死にたい」と思っていましたが、私のせいで疲れ切っている母と彼を見て、無気力な姿で病院へ。当時、大学3年生の私が診断されたのが「うつ病」でした。

 

上京するまで、強い心で努力することこそが全てだと思っていた私。精神的な病気になるなんて弱い人間だと心のどこかで思っていたこともありました。そんな私がまさかうつ病になるなんて…。ショックな気持ちも少しはありましたが、どこかでホッとしたのも覚えています。

 

そこからは病院に通い、抗うつ薬「SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)」の1つであるレクサプロという名前の薬を飲み続けました。そして、それだけではなくお医者さんから薦めてもらい、大学で受けられるカウンセリングにも毎週通うように。そこで話しているうちに、私は完璧主義なのだということがわかりました。完璧主義が故に、「容姿も美しくなければならない」「能力も高くなければならない」そんな風にまるで何か優れたものがなければ生きている意味がないと自分を追い詰めていたのです。

 

しかし、本当はどんな私でも生きている権利はあります。それにそんな私を愛してくれる人が全くいないわけではありません。母も彼も、うつ病になった私を支えてくれていた。ありのままの私のことを愛してくれていたのです。

 

うつ病だと診断される前にはそれに気づけませんでした。しかし、薬を飲むことで少しずつ精神も安定し、そんな時冷静にカウンセラーの人と話せば色々なことを前向きに捉えることができるようになるのです。

 

それからも何度か不安定になることはありましたが、私が自分の心と上手く付き合えるようになったのが大学4年生の頃。所属していたゼミで、教授が私の感性を褒めてくれたことがきっかけです。教授はゼミ仲間との議論で私が発言したことや、その頃執筆していた卒論を心から認めてくれました。今まで生きてきて、私は誰かから“努力”を褒められたことはあっても、“能力”を認めてもらったことはありませんでした。教授が初めて私を、私が生きることを認めてくれたのです。その出来事が私の自身となり、心が不安定になる時に支えになっています。

 

私は今、教授が認めてくれた自分の感性と文章力を活かして在宅でライターをしています。私が自分の道を掴めたのも、うつ病になったからこそ。あの辛い時期がなければ、ライターになることもなかったでしょう。そして、今こうして体験談を語ることもなかったのです。

 

うつ病を克服する秘訣は、①きちんと抗うつ剤を飲み続けること②カウンセリングを受け自分の思考と向き合うこと③自分にできること、やりたいことをすること です。

 

もし、今この体験談を見てくれているあなたがうつ病ならば焦る必要はありません。自分を責める必要もありません。他人ができることをできなくても、あなただけにしかできないことがきっとあります。それがわかるまで、ゆっくり心を休ませてあげてください。あなたが辛い経験を糧に、自分だけの道を見つけられる日が来ますように。そう願っています。

 

 

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