エリートからうつ病に。F様(30代・女性)のケース

エリートからうつ病に。F様(30代・女性)のケース うつ病の体験談
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F様(30代・女性)の方に体験談を寄与いただきました。

 

私がうつ病を発症したのは、25歳の時でした。

私は大学院を卒業後、24歳で設備設計の仕事につきました。私は、ずっと学業において優秀でした。そのため、絶対にキャリアウーマンとして成功する、と意気込んでいました。

その会社は、女性の技術者を採用するのが初めてでした。そのため、会社からの期待も大きいことを肌で感じておりました。

自信満々に出勤した私は、初日から大きな違和感を覚えました。誰に挨拶しても、無視されるのです。女性が入社したのが気に入らないのかな?私が美人じゃないからがっかりしたのかな?と、無意識に理由を探していました。

そのような雰囲気で始まった社会人生活ですが、設計プロジェクトに入ると、地獄が待っていました。

私の指導担当者が、うつ病を発症し、行方不明になったのです。誰に聞いても仕事を教えてくれる余裕のある人はいません。右も左もわからない状態で、何時間も怒鳴られる日々です。もちろん、帰宅は夜中です。

そんな中、親切にしてくださる先輩がいました。藁をもつかむ思いで、その先輩に色々教えていただきました。

ある日、その先輩と夕食を一緒にとりました。その後、先輩からホテルに行こうとしつこく誘われました。何とかやんわりとかわしてその場はしのぎました。しかし、翌日から、先輩からの攻撃が始まりました。何かのミスを私のせいにする。色々な人に私の悪口を吹き込む。そんな日々が続きました。

ある朝、突然動けなくなりました。翌日も、動けませんでした。その次の日は、会社に欠勤の連絡ができなくなりました。そのまま数日たったあと、友人に勧められて心療内科を受診しました。医者の診断はうつ病。すぐに求職するように勧められました。しかし私は休職しませんでした。してしまったら、すべてが終わるような気がしたからです。ものすごい量の薬を処方され、帰宅しました。

うつ病の件を上司に報告したところ、部署異動をさせてもらえました。しかし、同じフロアに例の先輩がいると思うと、手が震えます。出勤しても仕事ができず、使い物にならない私。自己嫌悪がどんどんひどくなりました。そのうち、会社のトイレで手首を切るようになりました。見かねた上司は、休職を勧めてきました。私は説得され、休職することにしました。

休職中は、一日も早く復職したいと思っていました。抗うつ剤に抵抗もありました。私は、知り合いのつてで、うつ病の相談を専門にしている方にアポを取りました。

その方は抗うつ剤はうつを治す薬ではない。うつの症状を抑え込むだけだ。だから飲んでもきりがない、と言われておりました。私はその方の指示に従い、薬を全部捨てました。その後、数日は、薬など無くても平気じゃないか?と思いました。

しかし1週間後、地獄が待っていました。

最初は細かな手の震えから始まりました。それから徐々に、不安感が大きくなってきました。何か具体的な懸念事項があるわけではないのに、じっとしていられないほどの不安や恐怖が襲ってきました。まるで、誰かがいつか自分を殺しにくることにおびえているような感覚でした。私はキッチンのテーブルの下に隠れたり、意味もなく家の中を歩き回ったりしました。夜も当然眠れず、横で眠る母を起こして、誰も自分を殺しにこないことを何度も確認して泣きました。

薬を捨てなさいと指示した方にどうすればよいかを聞くと、それは薬の離脱症状だから、薬が完全に体から抜けるまで、我慢しなさい。これで我慢できずに薬を飲むと、振出しだ、と言われました。まるで薬物中毒患者のような気持ちでした。

恐怖の日々は、2週間ほど続きました。しかしその期間を過ぎると、少しずつ外に出たり家の掃除をしたりできるようになりました。

薬が完全に体から抜けた後は、とにかく規則正しい生活を送る努力をしました。

休職してから約2か月後、私は無事に職場復帰を果たしました。

完全に元気を取り戻した私は、遅れを取り戻す気持ちでハードワークをこなすつもりでした。しかし、会社で手首を切って泣きながら休職した私への好奇とおそれの目が、私をじわじわ攻撃しました。

期限に追われる仕事のプレッシャーと周囲の目への引け目から、以前と同じような症状が現れるようになりました。また心療内科に行った方がいいことは分かっていましたが、当時の薬の離脱症状を思い出すと、薬を再び飲むことに抵抗がありました。

私は会社を休みがちになりました。会社側は当然、いつ出社するかわからないものに仕事をまかせることはできず、私は期限のない雑用などをこなす部署に異動になりました。そこで4か月ほど働いたあと、そろそろ元の部署に戻って戦力として働いてほしいと言われました。不安ではありましたが、給料泥棒の状態で自責の念に苦しむのもつらかったので、元の部署に戻りました。

不安は的中し、うつ症状は悪化していきました。私は死んでも会社に行きたくない、と思うようになり、再度休職をしたいと思うようになりました。休職をするためには当然医師の診断書が必要です。しかし薬は飲みたくないという思いも消せませんでした。私はインターネットで検索した心療内科を片っ端から受信し、薬を服用せずに療養したい旨を伝えました。しかし、そのような治療をする病院はなく、私は再び薬を飲むことにし、2度目の休職期間に入りました。

2度目の休職期間中は、夢に見ていたキャリアウーマンへの道がとざされたことや、自分のメンタルの弱さに不貞腐れ、ただただだらしない生活を送っていました。ストレスから解放されたことでうつ症状はよくなっていましたが、もう職場復帰したくない気持ちでいっぱいでした。

職場で認められている最長の休職期間の8か月があっという間に過ぎました。職場復帰するか、退職するかを選択しなければなりません。しかし、退職という選択肢は私にはありませんでした。私の実家は裕福ではなく、退職して実家に戻っても生活できない事情があるためでした。

私は再び職場復帰をしました。当然のことながら、周囲の目はさらにきつくなっていました。居心地の悪さは尋常ではありませんでしたが、転職活動をする気力もなく、身動きがとれない状態でした。

上司の判断で私は期限のない仕事を無理のない範囲でこなすことになりました。遅刻も欠勤もたくさんしましたが、上司は責めることなく気長に待ってくれていました。

そのような会社に甘え切った態度で働いているうちに、入社して5年がたちました。

さすがにしびれをきらした上司が、また元の部署へ最後の望みをかけて戻れと言いました。

私はそれまで甘えさせてもらった上司の顔をたてるためにも、死に物狂いで働きました。しかし、同じプロジェクトのメンバーは、私を経験5年選手として扱います。そして私は実際のキャリアが1年にも満たない状態です。

何もできない私をプロジェクトリーダーが何時間も怒鳴りつけ、おろおろしながら仕事を必死でこなしました。終電になるまで昼食もとらず、トイレに行く時間も惜しんで業務に没頭しました。

2か月後、体が動かなくなりました。会社に欠勤の連絡も入れられなくなりました。もうすべてがどうでもよく、死のうと思いました。

毎晩、マンションの屋上で下を見たり、ベルトで首を吊ろうとしたり、剃刀で腕や首を切ったりしていました。しかし、どうしても最後の一歩で勇気が出ません。あと一歩ですべてを終わらせることができるのに、どうしてここにきてビビるのだろう。情けなくて泣きました。

しばらくして、上司が私の家の近くまで来て、私に退職するように勧めました。退職の手続きすらできなくなっていた私は、全てを代理してもらい、5年半在籍した会社を退職しました。

職場を退職した後、全ての重圧から解放されたことから、うつ症状はかなり軽くなりました。しかし、収入減を確保しなければならないという焦りから、転職エージェントを利用し、うつであることを隠して残業時間の少なそうな会社に転職しました。

次に就職したのは特許事務所でした。どうしても技術職から外れたくないというプライドを捨てきれず、特許技術者として一から働くことにしました。新しい職場は、同じチームのメンバーがとても私を歓迎してくれ、抗うつ薬の減薬もどんどん進みました。このまま完全に社会復帰できる。そう思っていました。

しかし、私の指導者がきっかけで、また精神状態は悪くなっていきました。私の上司は非常に多忙でした。特許のとの字も分からない状態で入所したため、聞かなければならないことが山のようにでてきます。しかし、上司をつかまえるのに、半日~一日ほどかかります。全く仕事を覚えることができず、困り果てました。いつつかまるかわからない上司と次から次へと迫ってくる期限と、また自宅で手首を切るようになりました。処方される薬を変えても、処方量を増やしても、まったく効果はなく、生きた心地がしない状態が続きました。しかし、私のつらさを分かってくれる仲間がたくさんいたため、なんとか仕事を続けていました。

一年ほどたったころ、仕事中に涙が止まらなくなりました。その後、膀胱に違和感を覚えるようになりました。なんともいえない残尿感や膀胱の痛みで、椅子に座ることができなくなりました。私は大学病院に行き、あらゆる科を受診しましたが、どこを受診しても異常は見られませんでした。病院では、心療内科の受診をすすめられました。心療内科に抵抗する気持ちよりも膀胱の違和感に耐えらえない気持ちが強くなり、心療内科に行くことにしました。

心療内科で相談すると、典型的なうつ病の症状です。と言われました。私は、2つめの会社でも休職することになりました。数か月自宅療養していましたが、3か月後、職場から解雇されました。

解雇されてしばらくすると、膀胱の違和感は完全になくなりました。

しかし、2つめの会社でも普通に働くことのできなかった事実から、私は社会人として生きていく自信を完全に失いました。

しかしやはり生活のことを考えると、自宅でゆっくり療養できる環境ではありません。私は再び転職エージェントを訪れました。

自分が勤めた2つの会社で折れた原因である、怒鳴られる、指導がない、という要素がない会社を希望し、前職と同じ職種の会社に就職しました。

3つめの会社では、経営者である上司と私しかいない職場でした。仕事は非常に忙しかったですが、指導をしっかりしてもらえ、怒鳴られることもなかったため、深夜残業もこなせていました。

入社して3か月した頃、上司が過労からうつ病を発症しました。多量の薬を飲みながら、なんとか仕事をこなしている、当時の私のような状態になりました。

私がうつ病経験があることから、上司が私に頼るようになりました。夜中に電話が来て、眠れないと言われたり、大量に薬を飲んで自殺を図り、私を呼ぶということも一回ではありませんでした。

つられるように私のうつ病も悪化していきました。薬の量はどんどん増え、仕事に行けない日が増えました。

本来ならば解雇されるような勤務状態でしたが、私を解雇すると職場が回らなくなるため、許してもらえる状態でした。

心療内科の医師は、退職することを勧めてきましたが、なんとか薬で対処してほしいと伝え、抗うつ剤の量はどんどん増えていきました。

そのような状態で長く続くはずもなく、職場は閉鎖となりました。

どこに行っても働けない私は、昔の貯金を切り崩しながら療養することにしました。ストレスのない環境から逃れたらうつ病はましになると思っていました。しかし、うつを抱えたまま長年無理をしてしまったため、そう簡単には改善されませんでした。

ありとあらゆる抗うつ剤と睡眠導入剤を試しましたが、効果のあるものはなく、先が見えない私は焦っていました。貯金も底をつきかけていました。

私のうつ病は、朝まで眠れず、夕方4時まで全く動けないという症状が主でした。そのため、私は、水商売の世界でホステスとしてアルバイトをすることにしました。自分の症状がこれ以上悪化しないように時間を調整しながら働きました。

金銭的に追い詰められる要素がなくなり、またつらい昼間の時間は休めるため、精神的に楽になってきました。

それから、徐々に抗うつ剤の減薬に成功し、生活リズムを昼に少しずつ戻し、うつ病は寛解しました。

今は、2つ目の会社から独立した人の会社で働いています。その方は私がうつ病であった過去をよく知っているので、私の様子を見ながら仕事の調整をしてくれます。そのおかげで、今は元気に働き、出張も残業もストレスなくこなせています。

今、当時の自分を振り返ってみて思うのは、自分がどういった環境にストレスを感じるのか冷静に考え、それを回避できる状態で療養することがいかに大切だったかを思い知りました。当時の私は、金銭的な不安から自分と向き合うこともせず、がむしゃらに前に進み、同じことを繰り返していたと思います。

また、当時の私には、社会から離れることに非常に恐怖を覚えていましたが、離れても、また戻ってこられることが、今なら分かります。もっと早くそのことが分かっていれば、うつ病もここまで長引かなかったと思います。

うつ病を経験して、執着していたものを手放すことや、自分と向き合うことの大切さを身をもって知りました。自分が長年苦しんだ時間を無駄と思うのではなく、これから先の人生に活かしていきたいと思います。

 

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